夕暮れに太鼓が鳴りはじめると、浴衣の裾がふわりと揺れます。そのひとひらの布は、もとをたどれば人前で着るものではありませんでした——湯上がりの下着だった浴衣が、どうして夏祭りの主役になったのでしょう。盆踊りの起源から、地域ごとにまるで違う装いまで、一枚の浴衣にまつわる少し意外な物語をたどってみます。読み終えるころには、いつもの夏祭りの景色が、少しだけ違って見えるはずです。
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盆踊りは先祖を供養する行事で、その起源は一つに定まらず諸説あります。夏祭りに欠かせない浴衣は、もとは湯上がりに着た下着のような衣で、外出着になったのは明治以降のこと。装いは地域ごとに大きく違い、秋田・郡上・阿波を見比べるとその幅に驚きます。今の夏祭りは、好きな浴衣で気軽に楽しめます。
盆踊りはなぜ踊る? 起源は一つに定まらない
盆踊りは、お盆の時期に先祖を迎え、供養するための行事として、日本各地に根づいてきました。ただ、その始まりをたどると、話は一本の線になりません。盆踊りの起源には諸説あります。よく挙がるのは、平安中期の僧・空也上人が始め、鎌倉時代の一遍上人が全国へ広めたとされる「踊り念仏」を源とする説です。そこへ仏教と神道の信仰が混ざり合い、時代とともに世俗化していった——そんな流れも語られています。ひとつの答えに収まらないところが、盆踊りという行事の奥ゆきなのでしょう。
室町時代には、きらびやかに着飾った人々が太鼓や笛、鉦に合わせて踊る「風流踊り」が流行しました。江戸時代になると、農村を中心に盆踊りはいっそう盛んになります。郡上おどりや阿波おどりのように、今日まで踊り継がれてきたものも、この頃に育ちました。もっとも、人が大勢集まる熱気は、時に為政者を身構えさせたようです。一揆を警戒して藩が禁止令を出すことがあり、明治時代には風紀を乱すとして取り締まりの対象になった時期もありました。それでも踊りは絶えず、今では各地の盆踊りが重要無形民俗文化財などに指定されています。禁じられてもなお残ったという事実が、この踊りの根の深さを物語ります。
浴衣は「下着」から始まった
踊りの歴史をたどったところで、では、その輪の中でひるがえる浴衣は、どこから来たのでしょう。実はここに、いちばんの意外がひそんでいます。浴衣は、もとは人前で着るものではありませんでした。ルーツは、貴人が蒸し風呂で肌をおおうために着た「湯帷子(ゆかたびら)」。麻でできた、いわば入浴用の衣です。
それが装いへと近づくのは江戸時代のこと。木綿地が広まり、湯屋(銭湯)が庶民の暮らしに定着すると、人々は湯上がりに浴衣をまとうようになりました。ちょうどこの頃、「長板中形(ながいたちゅうがた)」という型染めの技法が浴衣地に多く使われ、藍で染めた涼やかな柄が親しまれます。やがて「中型」といえば浴衣を指すほどになりました。そして明治以降、しっかりとした上物がつくられると、浴衣はとうとう外出着として人前へ出ていきます。下着から晴れ着へ——浴衣がたどった道のりは、意外なほど自由です。
おもしろいのは、外出着として認められるより前から、人々はすでに浴衣で出かけていたこと。江戸の町では、盆踊りや花見に、揃いの浴衣で繰り出すのが粋な楽しみでした。歌舞伎役者が舞台でまとった浴衣の柄を、庶民がこぞって真似ることもあったといいます。憧れの人の着こなしをまねる感覚は、今も昔も変わらないのかもしれません。夏の透ける生地の話は絽・紗・麻——透ける着物にひそむ、涼のかたちにも綴っています。
地域でこんなに違う、盆踊りの装い
「浴衣で盆踊り」と言っても、その一枚は全国で同じ顔をしているわけではありません。同じ盆踊りでも、装いは地域ごとに大きく違います。とりわけ個性が際立つのが、阿波おどり・郡上おどり・西馬音内盆踊りの、日本三大盆踊り。並べてみると、その幅に驚きます。
秋田の西馬音内(にしもない)盆踊りは、装束の美しさで知られます。踊り手がまとうのは、絹の端切れを継ぎ合わせた格式高い「端縫い(はぬい)」か、男女で共用する藍染めの着物。そこへ編み笠や「彦三頭巾(ひこさずきん)」をかぶり、顔を隠したまま踊ります。名前も表情も伏せた踊り姿は、どこか幽玄で、静かな迫力があります。
いっぽう岐阜の郡上おどりは、驚くほど大らかです。装いに決まりはなく、上半身はTシャツでもかまいません。足元で下駄を打ち鳴らして踊るのが身上です。絹を継いだ端縫いと、Tシャツに下駄——同じ「盆踊り」という言葉のもとに、これほど遠い装いが並んでいるのは、知れば知るほど愉快です。
徳島の阿波おどりもまた独自です。男踊りには半纏を着るものと、浴衣を尻からげにして踊るものがあり、女踊りは女物の浴衣に網笠を深くかぶって、下駄で軽やかに舞います。もし旅先で盆踊りに出会ったら、笠や頭巾、半纏、足元の下駄に目をやってみてください。装いの一つひとつに、その土地が守ってきた踊りの形が宿っています。
今年の夏祭り、浴衣で出かけるなら
こうした伝統の装束が各地に受け継がれる一方で、今の夏祭りでは、一人ひとりが好きな浴衣を選んで出かける風景がすっかり当たり前になりました。かつて下着だった一枚が、いまは自分らしさを映す晴れ着です。難しい決まりを気にせず楽しめるのは、長い時間をかけて浴衣が外へ出てきてくれたおかげ、とも言えます。
とはいえ、歩いたり座ったり、輪になって踊ったりを繰り返す夏祭りは、着崩れが気になる場面も多いもの。出かける前に着崩れの直し方を知っておくと、当日あわてずにすみます。外での応急処置は着崩れの直し方 場面別ガイドにまとめました。履き慣れない下駄で長く歩く日は、鼻緒ずれを防ぐためにこまめな休憩をはさむと安心です。帯まわりには涼やかな色の小物を一点添えるだけで、装いがふっと軽やかになります。浴衣と着物のちがいが気になる方は浴衣と着物、その違いって知ってますか?を、当日の持ち物は着物を着るときに必要なもの一覧をあわせてどうぞ。
まとめ
湯上がりの下着から、祭りの晴れ着へ。浴衣がたどった道のりには、長い時間がそっと折り込まれています。起源が一つに定まらない盆踊りも、地域ごとに表情の違う装いも、その幅こそが、この行事が長く愛されてきた証なのでしょう。今年、太鼓の音に誘われて浴衣に袖を通すとき、その一枚の来しかたを少しだけ思い出してみてください。いつもの夏祭りが、ほんの少し愛おしく見えてくるはずです。
